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「M Poetica」より「The Artist as Trickster」(3) [閑話休題]

「M Poetica」より「The Artist as Trickster」、最終回です。



(前回記事 (1) (2) よりつづけて「The Artist as Trickster」の章から引用)

ロンドンの会見の後、This Is It でジャクソンが彼自身の風刺画から「マイケル・ジャクソン」へと変身するさまは鮮やかである。私たちが心から見たいと思っていたマイケル・ジャクソン、そのために人々が100万枚のチケットを買ったマイケル・ジャクソンへと---- 。This Is It の各シーンは時系列というよりも曲の順に並べられているが、どの順番で撮影されたのかはジャクソンの見た目によってある程度判断できる。

彼は、ソニーのCulver Cityスタジオに到着し、新しいダンサーたちと対面し、「Bad/They Don't Care About Us」のリハーサルをする。熱心な若いダンサーたちにステップを教える彼を見ていて、私は、ふたつの点に注意を引かれた。ひとつめは、彼のダンスのすばらしさである。彼の振る舞いはとても気楽で、若いダンサーたちに威圧感を与えるそぶりもないのに(ガムを噛んでいるほどである)、高い水準を保っている。彼の動きは驚くほどに機敏で、シャープである。50歳にして、また、体力が万全でないと報じられていて、ちょっとしたリハーサルといった雰囲気にもかかわらず、彼のダンスステップは圧倒的である。ただただ、目を離すことが出来ない。

私がどうにも注意を引かれたふたつめは、ジャクソンの髪である。私は決して人のファッションをうるさく言う人ではない。しかし、あの髪はまた別のウィッグだと思うが、真面目な話、あんなに見た目の悪いウィッグはどこで買えるのだろう? 彼があれに何をどう施したのか知らないが(言うなれば食洗機の中を走りぬけたようだ)、彼はきっと楽しみながらぼろぼろにしたのだと想像する。とはいえ彼はロンドンでのように「奇人」に見せようとはしていない。若いダンサーの前で「freak」になりたくはなかったのだ。しかし、彼らダンサーがロンドンでの会見を見たことははっきりしているのだし、なんらかの変身は必要である。そして冗談であることが見え見えでもいけない。そこで彼はちょっと見た目を変え、「自堕落な中年ロックスターの、不注意でだらしない風貌」を装うことにしたのだ。彼にとってだらしなく見せるにはちょっとした努力が必要だったはずである。
(補足:私はジャクソンの髪は彼の意図を示す良い指標として見るようになった。彼はハリウッドの黄金時代を研究してきた人で、「カッコ良く見せる」ために正確にどうすれば良いか熟知しており、髪がキーポイントだと知っていた。彼がだらしなく見えるときは、明らかにカッコ良さを意図していないのである。)(後略)

(要約して引用→)93年以降のジャクソンを思い返していると、私がまんまと騙されてきたことが感じられ、ただただ笑ってしまう --- リハーサルで鼻が落ちマイケルが絶叫、スタッフが慌てて探し回ったという噂や、ブードゥーの話、顔にバンドエイドを無造作に貼った写真、乗馬中のKing Philip IIとして描かれた肖像画など。 それらは、気恥ずかしさや、奇妙さに満ちている。 --- しかしそこにはトリックスターの存在を感じる。まるで土曜の朝のアニメを見ているようで、バッグス・バニーやロードランナー、ワイリー・コヨーテと全く同じ感覚をマイケルの「変人」の時期には感じるのだ。(要約引用終)

バッグス・バニーは、世界中の歴史的な民話の数々に登場するトリックスターの、現代における焼き直しにすぎない。彼は、ギリシャ神話のヘルメスで、北欧神話のロキで、中国の猿神で、日本のスサノオで、アイルランドのレプラコーンである。(中略)トリックスターは枠組みを変え、ルールを壊し、いたずらを仕掛け、しばしば彼自身の賢さのために陰謀に巻き込まれることがある(これは確かにジャクソンにも何度も起こっている)。しかし彼は不屈である:彼はやられた後でしばし姿を消し、何か新しいことをする準備をしてまた現れるのだ。ワイリー・コヨーテのロケットスケートは爆発して彼を渓谷に突き落としたり、列車がやってくる線路に送ったりするが、数分後に彼は戻ってきて、石弓をこしらえるのだ。(後略)

トリックスターは私たちの「思い上がりで膨れ上がった正しさ」に針で穴を開け、「意識下にある残酷さ」を露呈する。そして私たちの前に広がる世界は混沌としたものに見えてくる。そこでは曖昧さが許されるのである。世界は白と黒の単純過ぎる分割ではなく、微妙な色合いのグレー、そして様々な色が存在する万華鏡なのだ。トリックスターは男性的かつ女性的で、若者でも老人でもあり、神聖かつ俗物的で、感銘を与えつつ人を当惑させ、詐欺師かつ真実の語り手で、愚か者でも賢者でもある。彼らの複雑さと矛盾は、手短に言えば、人の生そのものである。

書物には、時代を通して受け継がれてきたこのようなトリックスターがしばしば登場する。彼らは幾分かの恐ろしさを持ちながら晴れがましい場面に登場する。彼らは奇怪な顔で、無残な死体で、謝肉祭に登場する3つの角を持つ帽子をかぶったジョーカーである。書物でそれらを読むたびに、私の頭にはマイケル・ジャクソンのことが思い浮かぶ。彼がこんなにも創造的だったのは、このような古代の起源のエッセンスを汲んでいたからなのだろうか。今日ではますます縁遠くなりつつあるこれらの起源たちの。(後略)

私は、ジャクソンによる「変人」(彼の「Is It Scary」での表現を借りれば「eccentric oddities」)に思いをめぐらせ、私たち自身に跳ね返ってきたものの強さを考える。それによって分かったことは何だろうか?彼についてではなく、私たち自身について。
彼の肌の色の変化に対する反応が、私たちが人種に対して抱く意識下の感情を浮かびあがらせたのとまったく同じように、彼が作り上げた「変人」に対する反応は、より一般的な「違い」に対して私たちがしがちな反応を明るみに出したのだろう。そして彼が「Ghosts」で見せたように、アートは私たちを変える力を持っているのである。私たちを分け隔てる「違い」を、私たちがどのように受容し、反応するかについて、変える力を持っているのである。

ジャクソンの作品と彼が表現した考えを見ていると、「変人」の時期こそが彼のキャリアの絶頂期であると感じるようになった。正直なところ、彼の作品を愛するのと同様に、私には彼の顔が傑作として見えるようになったのだ。それはジャクソン自身が「Ghosts」で示唆したことである。マエストロが死に、彼の作り上げたアートで蘇るとき、それは音楽でもダンスでも映像でもなかった。それは大きな石の少しグロテスクな顔で、それこそが、彼を非難する権威主義者の市長を去らせたのだった。ジャクソンが彼の作品の最大の力を示すものとして選んだのは、巨大な石でできた彼自身の顔だったのだ。

しかし、正確に言うと、傑作であるのは彼の顔そのものではない。彼の顔に対する私たちの見方の変遷を指揮し、現存する人種や性、アイデンティティについての考え方を揺るがし、究極には物事の受け止め方そのものに疑問を投げかけたことこそが、彼の傑作なのだ(※)。それはオークションで売られたり美術館に飾ることは決して出来ない。なぜなら、それは私たちの頭の中に存在し、私たちそれぞれが作品に触れることで得られるものだからである。それは彼の顔の写真で示すこともできない。彼の作品の決定的な特徴はそれらの写真がいかに私たちを欺くかというところにあるからである。それは他の役者やダンサー、カバーバンドで再現することもできず、正確なドキュメンタリーというものも作れない。実際には存在しないのだ --- それは絶えず変遷するイリュージョンだからである。億という人々が体験し、しかし概念としてのみ存在する。それはアートの最も純粋な形と言えるのではないだろうか。

ジャクソンのアートには多彩な面があるが、そのすべての背景には驚くべき知性と、ひとりのアーティストが描いた遠大なビジョンを感じる。共感、思いやり、そして声なき者に対する揺るぎない気遣い、そして世界を、その受け止め方を変えようという強固な信念が見える。尽きることのないエネルギーと古代からのトリックスター --- 民話そして伝説のトリックスターが持つ、いたずら好きな感覚が見える。そしてジャクソンが「Unbreakable」で約束したように、何が起ころうとも、どんなに彼の人生が困難で苦痛に満ちたものであっても、うるさいタブロイドや、騒ぎ立ててごまをする人達、権威主義者の非難があろうとも、彼は「笑いながら、浮かび上がってくる」のである。

※著者は本書の中で「Is It Scary」のフレーズ"I'm gonna be exactly what you wanna see"を繰り返し引用し、見る者の認識(先入観)によって顔の見え方が変わることをマイケル自身が意図的に示していた(そして面白がっていた)のだと考察している。また、白斑を「利用して」、「Black man with a white face」でいることで、人種についての既存の認識を揺るがし、それについて考えざるを得ない状況をつくったと考察している。

(引用終)

以上の「The Artist as Trickster」は本書のエッセンスを凝縮したような内容ではないかと思いました(私がそこに注目しているからかもしれませんが…)。

ところで。本書の中で一昨年のキャサママのインタビューが引用されていたのですが、以前の記事ですっぽり抜けていた部分でしたのであわてて追記しました。個人的に、かなり大事な部分で、、しまった…!と反省。。
(↓赤字です。)
http://meetoytoy.blog.so-net.ne.jp/2010-11-09

(「M Poetica」からの引用は本記事で終了します。)

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タグ:マイケル
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コメント 2

accola

Meeさん、アリガトウございます。本当に著者の考察には驚かされてしまいます!注意深く観察してないとついつい見逃してしまいがちですよね☆因みに私は「ROCK WITH YOU」からMJの虜になったのですが幾度もの彼の変化にも何の違和感も持たずスンナリと受け入れてたんですよね~ある意味鈍感?汗!確かにMJは…良い例えでは無いですが宇宙ーの「白サギ」なのでは!?騙されて幸せに感じさせてくれるなんてやっぱりMJだけだと思います♪しかしあのウィッグの件では思わず吹いてしまいました~wwこれからもブログ更新楽しみにしております。((HUG!))
by accola (2012-01-08 15:20) 

Mee

HUG!に癒されました(TT)

>注意深く観察していないとついつい見逃してしまいがち
著者の「研究方法」は緻密で。。映像・写真だけでなく、一般には評判の良くない「Unmasked」や「Tapes」等も考察材料にする徹底ぶり。良い面だけでなく悪いとされてる面も包括したうえでポジティブな結論を導いていて、それが頼もしいというか、ほんとうに読んでいてスッキリします。

>何の違和感も持たずスンナリ
accolaさん凄い!と思ったのですが、よくよく考えたら私もそうだったかも…
節目節目でマイケルの「音楽」に対して抱いた印象は鮮烈に記憶してるのに「見た目の変遷」をどう解釈してたのか全然思い出せません…。
あれは趣味だから、と思って深く考えなかったのかも。
マイケルの趣味を「許した」つもりで、実はマイケルの賢さを見過ごしていたんですねきっと。

>「宇宙一の白サギ」
どうしてこんな上手い例え思いつくんでしょう?(笑)
”ニヤっ”としつつ、切なくなるなあ。。
by Mee (2012-01-09 02:49) 

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