SSブログ

Wanna Be Startin' Somethin' の歌詞 [Growing up in the...]

大西恒樹さんの歌詞翻訳ブログ。

マイケルの遺した言葉/マイケル・ジャクソン氏の歌詞の日本語訳詞集

「誤訳が多いマイケル・ジャクソンの素晴らしい歌詞を丁寧に和訳し、そこに込められたメッセージを日本語できちんと伝えるブログ。 」

いつも更新を楽しみに見ています。

いちばん印象深かったのが、スタート・サムシング(Wanna Be Startin' Somethin' )の歌詞についての記事。

http://mjwords.exblog.jp/9370095/

以下、大西さんの言葉です。

どちらかと言うと「何か新しいことを始める」というような前向き一辺倒の和訳が一般化しているようですが、それではこの曲の魅力が半減してしまいます。マイケルは恐らく、謂れのない噂や中傷に傷つき、人にはわからない痛みや怒りをたくさん抱えていたのだと思います。その痛みを表現しつつも、さらにそこから前向きのメッセージを発しているからこそ、この曲は素晴らしいのだと思います。

まさに私も、「何かを始めなきゃ」という意味だと勘違いしていました。それにしても変な歌詞だな。。思っていたのですが。こんな歌だったとは!!最後の部分の強いメッセージ。何年も聞いてきたのに、私はこのメッセージが全然受け取れていなかったんですね。。

さて、大西さんのブログにはこんな記述が。

「僕は彼女を医者に連れて行った」の節について、一説には「あれは私のことよ」とラトーヤが言ったという話もあります。でも大事なのはそれが誰かではなく、噂話のバカバカしさを歌っているということです。

これ、ラトーヤ自伝「インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー」にちゃんと書いてあります。
読むと、「彼に彼女を嫌いにさせる~」など謎の歌詞が生まれたきっかけが分かります。
「謂れのない噂や中傷に傷ついていた」のはマイケル本人ではなく、ラトーヤなのですね。マイケルはお姉ちゃんのために心を痛めていたわけですね。

もちろん、誰のことを歌っていようが、この歌の伝える普遍的なメッセージに変わりはありませんし、マイケル自身も様々に解釈されることを楽しんでいたのでしょう。作詞のきっかけが何であれ、根拠のない噂を言い立てるマスコミを非難する気持ももちろんあったのだと思います。

-------------------------------------------------------------------------

ある日、マイケルがあたしを呼びとめて言った。「姉さんのために書いた歌を聞いてほしいんだ。姉さんとあの女たちに起こったことがすごく残念でね」歌は<Wanna be startin' somethin'>という題で、あとで<スリラー>の中の一曲になったものだ。ある音楽評論家の解釈を読んで、あたしは思わず笑ってしまった。その歌はどうもマイケルの被害妄想と偏執狂を表現しているようだ、というのである。あの歌は、マイケル自身のことを書いたものではない。全然ちがう。あたしと義理の姉妹との摩擦を書いているのだ。

(前後略。インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリーより)

-------------------------------------------------------------------------

Michael and La Toya
MichaelandLatoya.jpg
nice!(0) 
共通テーマ:

nice! 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。