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ラトーヤの真似たNY訛りとはこんな感じ? [Growing up in the...]

前作を読んだ人しかわからない話をします[手(チョキ)]

前作に、

「ルメットの秘書のふりをしてマイケルを騙したラトーヤ」

の話がありましたよね?

下のページStar IceのラジオCMにいろんな声色を使い分けるラトーヤが出てきます。
さすが。これにマイケルは騙されちゃったのね。。
ラトーヤの真似たNY訛りとは
45 second radio commercial spot1とspot2 のpublicistのような感じ…?
spot2のpaparazziとmanagerもなりきってて傑作です^^

http://www.jatail.com/beverage_starice.html


結局「どうしても書きたいこと」出てきました。
ぽちっといただけると嬉しいです[グッド(上向き矢印)]
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タグ:ラトーヤ
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1st Book Pictures part4 [Growing up in the...]

最後です。ラトーヤの本(91年の前作、原著)巻頭の写真。 Part4 of 4
UK版ですが本文の内容は和訳版と同じ。


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母、ジャネット、リビー、ドナルド・トランプ、そして私。
88年の3月、アトランティックシティにあるトランプの城で私がデビューコンサートをしたとき、バックステージで。
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1st Book Pictures part3 [Growing up in the...]

続き。ラトーヤの本(91年の前作、原著)巻頭の写真です。 Part3 of 4
UK版ですが本文の内容は和訳版と同じ。


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80年代中盤は家族内の緊張が日増しに高まっていた。外からは想像もつかなかったことだろう。
上: 86年のアメリカンミュージックアワード。ジャネット、母と一緒に。
下: ジョセフと一緒に、84年のコンサートにて。
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1st Book Pictures part2 [Growing up in the...]

続き。ラトーヤの本(91年の前作、原著)巻頭の写真です。 Part2 of 4
UK版ですが本文の内容は和訳版と同じ。


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この写真は私のお気に入りの中の一枚だ。
下:2枚目のアルバム「Heart Don't Lie」のプロモーションツアーで。
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1st Book Pictures part1 [Growing up in the...]

直前の記事でお話したラトーヤの本(91年の前作、原著)巻頭の写真です。 Part1 of 4
UK版ですが本文の内容は和訳版と同じ。
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In the beginning. ジャクソン5が1969年にモータウンと契約後、最初の写真。
時計回りに左から:ティト、ジャーメイン、ジャッキー、マイケル、マーロン。
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前作の整理 様々なバージョン [Growing up in the...]

今作「Starting Over」の和訳版が出るかはわからないのですが、そういえば前作「インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー/原題:Growing up in the Jackson Family他」の場合はどのタイミングで和訳がでたのか、出版の時系列を見るべく、アマゾンから著者:ラトーヤ/La Toyaですべて引っ張ってきました。

原書と同じ年に最初の和訳版(91年)が、次の年に新装版が出ています(92年)。私は91年版しか読んだことがありませんが、両者の文章は同じだそうです。92年版にだけ30枚の写真がついているそうですが、後述する原書の写真と同じものなのでしょうか。

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タグ:ラトーヤ
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父親との関係 [Growing up in the...]

父親との関係について。

マイケルのインタビューより
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父は、パパなんて呼ばせてくれなかった。お前たちのパパじゃない、俺はジョーゼフだ、って。僕は自分の子供たちにマイケルなんて呼んでほしくない。僕は子供たちにとってパパなんだ。僕は父とは正反対だよ。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリーより
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学校を出ると、ジョーゼフは一時プロボクサーとなり、怖いもの知らずのファイターとして地元で評判をとったことがある。肩幅が広く、背は180センチを超え、力も非常に強かった。子どものころの、父に関する楽しい思い出は数えることしかないが、その一つは、父が四つん這いになり、その背中にわれわれ子どもたちがよじ登った思い出である。あたしたちが互いにつかまり合いながらキャッキャッ笑っていると、父は「どうだ、父さんは家族全部を運べるんだぞ」と自慢したものである。ささやかな思い出のようだが、この思い出は、父があたしたちにどんな眼差しを注いでいたかを、たくさん語りかけているように思えるのだ。父ジョーゼフは、子どもたちは常に自分のものであり、その子どもたちを支え、守ってやれるのは自分だけである、と感じていたかったに違いない。
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子どもたちには自分が必要なんだ、と感じていたかった父。子どもながらにして一家を支えるようになってしまったマイケルたちを決して認めず、おまえたちなんて何者でもないと言い続けたのも、そのせいでしょうか。
以下に引用しますが、別の家族を外に作り、本当の家族のように扱ったのも、本当に自分を必要としてくれる家族が欲しかったせいかもしれないと思います。

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ジョーゼフがアンナ(本名ではない)とその母を”本当の”家族と考えていることが、しだいにはっきりとしてきた。ある日の午後、父のアシスタントがロールスロイスをヘイブンハーストの家に届けてきたのだ。妙なことに、一時間ほどたつとまた戻り、車に乗り込んで行ってしまった。後でわかったのだが、アシスタントは”家”に車を持っていってくれと言われ、当然ヘイブンハーストの家と思った。ところが、悲しいかなそうではなかった。”家”とは、もう一人の女性と子どもがいる何キロか先の家のことだったのだ。

(中略)

父が初めて「ラトーヤ、愛しているよ」と、行ったときのことを覚えている。電話の中でだった。1988年、30年後ではあまりにも遅すぎた。びっくりしたあたしは、ただ早口で「オーケー、さようなら」と言ったきり、受話器を置いたのである。
ジャネットにこのことを話すと、「あたしにはいつも言ってるわ。もう、あきあきよ」などといろいろ答えていた。マイケルは私と同様に驚いたが、疑わしそうな目をして、せせら笑いした。「信じられないね。姉さんにそういうことを言うのは、今がちょうどいいんだろうね。でも誰をだましているつもりなんだろう。だんだん変わってきたなんて自分では言っているけどね。このごろ、あの男はいつでも家にいるそうだよ」 ひょっとしたら父は変わってきたのかもしれない。しかし、それはもうどうでもいいことだった。でも、ジョーゼフが私に「愛しているよ」と言ったことは、ジャクソン・ファミリーの中ではトップニュースになった。マイケルとジャネットは、ジョーゼフがそんな言葉を口にした時のことをみんな知りたがった。特にマイケルは、詳しく話すようにせがんできた。父がこの言葉をどういうふうに言ったか、声の抑揚、トーンは、といった具合だ。「ラトーヤ、愛しているよ」と言った父のまねを、私はその週に10回以上はやったに違いない。

「彼がそう言ったとき、どんな気持ちがした?」とマイケルが尋ねた。

「まるで……うそだと思った」とあたしは正直に認めた。
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実際、父親が関係修復に努力していたことがジャネットにより語られています。

ジャネットへのインタビュー ローリングストーン[Issue 665 — September 16, 1993]
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父親についてジャネットに聞くと、彼女は答えたくなさそうだった。彼女はかつて、家族の混乱から距離を置くことを選択している。「プライベートな問題なの」彼女は言った。「わかって欲しいのは、私たちは父をお父さんともパパとも呼んだことがないの。ジョーゼフって呼んでた。怖い存在だった。皆でゲームして遊んでても、父の姿が見えるとジョーゼフの車がきたらすぐ自分の部屋に戻ったわ。ラトーヤが言ったような虐待ではなくて、普通のお仕置き程度だったけど。父との間には冷たいものがあり、心は離れていた。確かにしつけはきびしかったけど、でも私たちが苦しかったのは、父が私たちのことを思ってくれていなかったせいだと思う。今、彼はそれに気付いているのよ。償おうと努力してるわ。
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以下、追記しました。(2010年2月末)


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Wanna Be Startin' Somethin' の歌詞 [Growing up in the...]

大西恒樹さんの歌詞翻訳ブログ。

マイケルの遺した言葉/マイケル・ジャクソン氏の歌詞の日本語訳詞集

「誤訳が多いマイケル・ジャクソンの素晴らしい歌詞を丁寧に和訳し、そこに込められたメッセージを日本語できちんと伝えるブログ。 」

いつも更新を楽しみに見ています。

いちばん印象深かったのが、スタート・サムシング(Wanna Be Startin' Somethin' )の歌詞についての記事。

http://mjwords.exblog.jp/9370095/

以下、大西さんの言葉です。

どちらかと言うと「何か新しいことを始める」というような前向き一辺倒の和訳が一般化しているようですが、それではこの曲の魅力が半減してしまいます。マイケルは恐らく、謂れのない噂や中傷に傷つき、人にはわからない痛みや怒りをたくさん抱えていたのだと思います。その痛みを表現しつつも、さらにそこから前向きのメッセージを発しているからこそ、この曲は素晴らしいのだと思います。

まさに私も、「何かを始めなきゃ」という意味だと勘違いしていました。それにしても変な歌詞だな。。思っていたのですが。こんな歌だったとは!!最後の部分の強いメッセージ。何年も聞いてきたのに、私はこのメッセージが全然受け取れていなかったんですね。。

さて、大西さんのブログにはこんな記述が。

「僕は彼女を医者に連れて行った」の節について、一説には「あれは私のことよ」とラトーヤが言ったという話もあります。でも大事なのはそれが誰かではなく、噂話のバカバカしさを歌っているということです。

これ、ラトーヤ自伝「インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー」にちゃんと書いてあります。
読むと、「彼に彼女を嫌いにさせる~」など謎の歌詞が生まれたきっかけが分かります。
「謂れのない噂や中傷に傷ついていた」のはマイケル本人ではなく、ラトーヤなのですね。マイケルはお姉ちゃんのために心を痛めていたわけですね。

もちろん、誰のことを歌っていようが、この歌の伝える普遍的なメッセージに変わりはありませんし、マイケル自身も様々に解釈されることを楽しんでいたのでしょう。作詞のきっかけが何であれ、根拠のない噂を言い立てるマスコミを非難する気持ももちろんあったのだと思います。

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ある日、マイケルがあたしを呼びとめて言った。「姉さんのために書いた歌を聞いてほしいんだ。姉さんとあの女たちに起こったことがすごく残念でね」歌は<Wanna be startin' somethin'>という題で、あとで<スリラー>の中の一曲になったものだ。ある音楽評論家の解釈を読んで、あたしは思わず笑ってしまった。その歌はどうもマイケルの被害妄想と偏執狂を表現しているようだ、というのである。あの歌は、マイケル自身のことを書いたものではない。全然ちがう。あたしと義理の姉妹との摩擦を書いているのだ。

(前後略。インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリーより)

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Michael and La Toya
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