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1st Book Pictures part3 [Growing up in the...]

続き。ラトーヤの本(91年の前作、原著)巻頭の写真です。 Part3 of 4
UK版ですが本文の内容は和訳版と同じ。


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80年代中盤は家族内の緊張が日増しに高まっていた。外からは想像もつかなかったことだろう。
上: 86年のアメリカンミュージックアワード。ジャネット、母と一緒に。
下: ジョセフと一緒に、84年のコンサートにて。
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85年の1月に行われた「We Are the World」のレコーディングは感動的な体験だった。
私は一列目の右から二番目にいる。マイケルは左から二番目だ。
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マイケルが88年にBadツアーをスタートしたころには、私たちのどちらもヘイブンハーストをわが家だとは思わなくなっていた。
私たちはほどなくして別々の道を歩き始めた。
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ニューヨークが本当の家だと感じるようになるまでそう長くはかからなかった。
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ようやく一人立ちし、私は自由で安全な場所に来たと思っていた。
家族が必死で連れ戻したがっているとは夢にも思わなかったし、あそこまで極端な行為に出ることなど、想像もできなかった。
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私のマネージャーであり、友人であり、夫の、ジャック・ゴードンと一緒に。
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騒動の始まり。89年3月のプレイボーイのプロモーションにて、懐いたボア蛇と一緒に。
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バハマで行われたボブ・ホープのイースターイベントにて。
私はスタッドのついたトップを着たが、家族の一部はショッキングだと感じたようだ。
ボブと私は良い友達になった。
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どの番組に出た時にも一番良く聞かれた質問が「家族はどう思っていますか」である。
その答えが明らかになるまで長くはかからなかった。
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いまの子どもたちは私たちが与えられるすべての支えと愛を必要としている。
二年と半年の間、私はナンシー・レーガンの薬物反対「ジャスト・セイ・ノー」キャンペーンのスポークスパーソンを務めた。
左から: レーガン夫人、私、ジャック、「ジャスト・セイ・ノー」設立者のトム・アダムス。
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NY、ブロンクス・レバノン・ホスピタルの小児のエイズ病棟を訪問しているところ。
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