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父親との関係 [Growing up in the...]

父親との関係について。

マイケルのインタビューより
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父は、パパなんて呼ばせてくれなかった。お前たちのパパじゃない、俺はジョーゼフだ、って。僕は自分の子供たちにマイケルなんて呼んでほしくない。僕は子供たちにとってパパなんだ。僕は父とは正反対だよ。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリーより
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学校を出ると、ジョーゼフは一時プロボクサーとなり、怖いもの知らずのファイターとして地元で評判をとったことがある。肩幅が広く、背は180センチを超え、力も非常に強かった。子どものころの、父に関する楽しい思い出は数えることしかないが、その一つは、父が四つん這いになり、その背中にわれわれ子どもたちがよじ登った思い出である。あたしたちが互いにつかまり合いながらキャッキャッ笑っていると、父は「どうだ、父さんは家族全部を運べるんだぞ」と自慢したものである。ささやかな思い出のようだが、この思い出は、父があたしたちにどんな眼差しを注いでいたかを、たくさん語りかけているように思えるのだ。父ジョーゼフは、子どもたちは常に自分のものであり、その子どもたちを支え、守ってやれるのは自分だけである、と感じていたかったに違いない。
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子どもたちには自分が必要なんだ、と感じていたかった父。子どもながらにして一家を支えるようになってしまったマイケルたちを決して認めず、おまえたちなんて何者でもないと言い続けたのも、そのせいでしょうか。
以下に引用しますが、別の家族を外に作り、本当の家族のように扱ったのも、本当に自分を必要としてくれる家族が欲しかったせいかもしれないと思います。

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ジョーゼフがアンナ(本名ではない)とその母を”本当の”家族と考えていることが、しだいにはっきりとしてきた。ある日の午後、父のアシスタントがロールスロイスをヘイブンハーストの家に届けてきたのだ。妙なことに、一時間ほどたつとまた戻り、車に乗り込んで行ってしまった。後でわかったのだが、アシスタントは”家”に車を持っていってくれと言われ、当然ヘイブンハーストの家と思った。ところが、悲しいかなそうではなかった。”家”とは、もう一人の女性と子どもがいる何キロか先の家のことだったのだ。

(中略)

父が初めて「ラトーヤ、愛しているよ」と、行ったときのことを覚えている。電話の中でだった。1988年、30年後ではあまりにも遅すぎた。びっくりしたあたしは、ただ早口で「オーケー、さようなら」と言ったきり、受話器を置いたのである。
ジャネットにこのことを話すと、「あたしにはいつも言ってるわ。もう、あきあきよ」などといろいろ答えていた。マイケルは私と同様に驚いたが、疑わしそうな目をして、せせら笑いした。「信じられないね。姉さんにそういうことを言うのは、今がちょうどいいんだろうね。でも誰をだましているつもりなんだろう。だんだん変わってきたなんて自分では言っているけどね。このごろ、あの男はいつでも家にいるそうだよ」 ひょっとしたら父は変わってきたのかもしれない。しかし、それはもうどうでもいいことだった。でも、ジョーゼフが私に「愛しているよ」と言ったことは、ジャクソン・ファミリーの中ではトップニュースになった。マイケルとジャネットは、ジョーゼフがそんな言葉を口にした時のことをみんな知りたがった。特にマイケルは、詳しく話すようにせがんできた。父がこの言葉をどういうふうに言ったか、声の抑揚、トーンは、といった具合だ。「ラトーヤ、愛しているよ」と言った父のまねを、私はその週に10回以上はやったに違いない。

「彼がそう言ったとき、どんな気持ちがした?」とマイケルが尋ねた。

「まるで……うそだと思った」とあたしは正直に認めた。
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実際、父親が関係修復に努力していたことがジャネットにより語られています。

ジャネットへのインタビュー ローリングストーン[Issue 665 — September 16, 1993]
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父親についてジャネットに聞くと、彼女は答えたくなさそうだった。彼女はかつて、家族の混乱から距離を置くことを選択している。「プライベートな問題なの」彼女は言った。「わかって欲しいのは、私たちは父をお父さんともパパとも呼んだことがないの。ジョーゼフって呼んでた。怖い存在だった。皆でゲームして遊んでても、父の姿が見えるとジョーゼフの車がきたらすぐ自分の部屋に戻ったわ。ラトーヤが言ったような虐待ではなくて、普通のお仕置き程度だったけど。父との間には冷たいものがあり、心は離れていた。確かにしつけはきびしかったけど、でも私たちが苦しかったのは、父が私たちのことを思ってくれていなかったせいだと思う。今、彼はそれに気付いているのよ。償おうと努力してるわ。
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以下、ジョーの自伝(2004年)を読んでの追記です。

読んで良かったです。虐待・暴力のかなりの部分が作り話というのは、ジャネットの意見と一致しています。ラトーヤの本で、「突然家族が次々にラトーヤへ電話し、父親の虐待について語った」なんてあたりは怪しいのでしょうね。ジャネットの言うように、父と子の心のわだかまりの原因は暴力ではなく「心の距離」の問題だったのだと思います。例えば、パパと呼ばせない、気にかけてくれない、愛していると言ってくれない、認めてくれない、ほめてくれない。それに加えてビジネスの問題と、浮気。…って書いていくとたくさんありますねえ…(汗)。

ただ、やはりマイケルの気持ちとジョーの感覚にはすれ違いを感じました。マイケルはオックスフォードのスピーチ(2001年)でこう言っていました。父親とはあまりいい思い出がないけれど、こっそりドーナツを買ってくれて、置いておいてくれたことがあったと。また、一度だけ、抱っこしてポニーに乗せてくれたことがあり、それがとても嬉しかったと。そういうことを、もっと求めていたんですよね。でもジョーの自伝ではそこが理解できているとは感じられず、親がいない子もいるんだからマイケルは感謝すべきだ、とか、俺は夢を叶えさせてやった、といった感じ。マイケルの求めていたことが、ジョーに完全には理解されておらず、少し寂しく思えたものです。

でも、不器用ながらも子どもたちを思う父親であることに変わりはないんだと思います。~2005年の裁判では常にマイケルに付き添っていた父。その頃には、マイケルもラトーヤも父親の愛情表現の仕方を理解していたのではないでしょうか。
1988年出版の自伝「ムーンウォーク」でマイケルは、「僕は父親には全く似ていない。自分の才能は母親ゆずりだ。」と書いています。この記事の冒頭のインタビュー(2003年)でも「父親と自分は違う」と言っています。
しかし、2005年のインタビュー(ホスト:Geraldo Rivera)では「僕はすごく父に似てるよ。父と同じように、僕はwarrior(戦士)なんだ」と力強く答えています。そこには、明らかに心境の変化が見られると思いました。それを聞いて私はとても嬉しかったです。


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