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In ’80 ランディの自動車事故 [ランディ]

ランディも一人でJETの表紙を飾っています。それがこちら。
JET1980年6月19日号
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そう、あの自動車事故のときです!ランディが歩けるようになったのは奇跡的で、一大ニュースだったのですね。今回はそんな、不可能を可能にするランディの意思の強さを物語るエピソード。


☆☆☆


ランディが事故にあったのはカリフォルニアでも有数の危険なカーブで、過去にはジェームス・ディーンなどが命を落としている場所。

1980年3月3日、運び込まれた現地の病院から「あまり長くはもたないと思います。」との連絡を受け、絶望的な気持ちになりながら、車で病院に向かったジョーとママ、ラトーヤ、マイケル、ジャネット。

ラトーヤ:
ジョーゼフは非常に注意深いドライバーだ。マイケルとジャネットとあたしはいっしょに後部座席に座りながら、絶対に間に合わないのではないかと思った。ただ車に揺られて目的地まで走っているのではないことが、ひどく耐えがたい思いだった。乗っている間ずっと、もしランディが死んだらどうしよう、と恐ろしく辛い考えが何度も頭に浮かんでは消えた。

事故当夜は、ロサンゼルスは土砂降りの雨に見舞われた。ランディは愛車メルセデスで、カフェンガ大通りを巡行速度で走っていたとき危険なカーブで横すべりし、コンクリートの街頭に激突したのだった。衝突の威力はすさまじく、ボンネットはアルミホイルみたいにめちゃめちゃになり、屋根はつぶれ、エンジンは運転席のほうに押し込まれて弟をはさみつけたのだった。駆けつけた警察と救急隊は事故車を一目見て、運転者は死んだものと思った。曲がりくねった金属の中から、救命ジョーズを使ってランディを救い出すのに一時間かかった。両足が何か所も骨折していたが、いちばんの傷害は左の足首で、医師の一人は「粉砕された状態」と説明した。


ランディの乗っていたメルセデス450SL。
ランディ「ガラスや、あらゆるものが、フロントガラスから脚の上にふりかかってきていた。
でも、切り傷は一つもなかったんだ。信じられない…。」
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ランディ:
僕が気付いたのは、救命作業の最後の15分だった。エンジンが燃えていた。「爆発するぞ!」と救命隊員が叫ぶのが聞こえた。僕は死の淵で祈っていた…。
ついに火が消され、僕は助け出されて、病院に運び込まれた。

キャサリン:
実際のところ、ランディの足の状態をあらわすのに医師が使った言葉は、”demolished(全壊)”だったわ。

ラトーヤ:
あたしが泣き崩れるかもしれないと知り、マイケルはあたしをわきへ連れてきて、医師の指示を繰り返した。「ラトーヤ、ひと言も話しちゃだめだ。動きも見せちゃいけないよ」あたしは落ち着いていようとしたけれど、ランディの顔を見たとたんに思わず息をのんだ。手の施しようがない、と医師は言った。
「助けてください!」とランディが泣きじゃくりながら言った。でも、自分の傷がどんなに重傷なのかは知らないのだ。あたしの頬を涙が流れた。ただ泣くしかなかった。マイケルは怒ってあたしの腕をとり、外へ連れ出して落ち着かせようとした。
あたしたちはその夜ずっと、病院で寝ずの番をした。医師団はランディの片足か両足を切断したいということだったが、ランディは何度も繰り返して「ノー」と言うのだった。翌朝、医師は、ランディの危機は生命を脱したが、再び歩けることはないだろうと説明した。それからの数週間、弟の症状は劇的に悪化し、切断が唯一の方法であるように思われたことが何度かあった。しかし、その度に彼は勇敢にも奇跡的に回復したのだった。

ランディ:
最初の手術の後、医師団は、僕はもう歩くことができないだろうと言った。二回目の手術の後、僕が歩くまでには一年以上かかるだろうと言った。そして三回目の手術の後にも、まだ医師は僕が歩くまでに一年は必要だろうと言っていた。

病院にて。後ろに付き添いのジョーが。
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JET:
ランディは、回復までの道のりで、もっとも危険だったときを回想する。それまでにいかなる薬も体に入れたことがなかった彼に、最初の手術の後、ひどい痛みに耐えられるよう鎮痛剤が処方され、ランディはそれを飲んだのだった。

ランディ:
飲んでから二分後、薬が効き始めた。そのとき、僕の呼吸が停止した。僕の脈拍はどんどん遅くなり、やってきた看護婦は、僕がもう少しで死んでしまうと言った。薬に対して悪い反応が出てしまったんだ。二分30秒後に呼吸は回復し、なんとか危機を脱したけれど、医師が言うには、僕は死の一歩手前だったそうだ。

ラトーヤ:
ランディはどんな鎮痛剤も受けつけず、また、医師の気がめいるような予後診断も拒否して、「ぼくはもう一度歩くんだ」と言い張った。「ぼくは自分を信じているし、自分にはそれができるとわかるんだ」それには何回もの手術や耐えられないほど辛い理学療法と、強烈な意思の力に満ちた何年かがかかったが、弟は医師団が間違っていたことを身をもって証明したのだった。

JET:
ランディは、病院での時間のほとんどを、読んで、考えて、書きものをして過ごしたという。まず読んだのは手紙だった。 - ファンからのたくさんの手紙だった。
彼がいちばん心を動かされたのは、両足を失った少女からのものだった。

ランディ:
彼女はもう歩けないけれど、それでも彼女は何も変わらない、と言っていた。僕のために祈ってくれて、僕がまた歩けるようになる、と言ってくれた。

JET:
事故から三カ月、三度の手術を経て、彼は初めて歩いたのだった。それは、高校の卒業証書授与の式典でのことだ。彼にとって最も誇らしい瞬間だった。


JETにあったランディのプロフィール:
Steven Randall (Randy) Jackson、1961年10月29日生まれ、さそり座。
性格:Great will-power, intense self-pride, usually self-sufficient, enjoys responsibility and authority.
Point of View: “I desire”



家で足のトレーニングをした後、ラトーヤと一緒に写真におさまるランディ。
ラトーヤも一緒にトレーニングをしてたみたい。珍しい~。
ランディのためなら、お付き合い、かな?
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家でファンからの手紙を読むランディ。
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ランディの退院を祝うパーティーで、ジャネットとキャサリンと一緒に。
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---- 四年後、ビクトリーツアーにて
ラトーヤ:
マイケルはあくまでもグループの一員として動こうと努めたけれど、どうしてもスターになってしまった。世間ではみなそう見ていたのだ。でもマイケルに言わせると、ランディこそが本当のスターだった。ランディは四年前の自動車事故でまだ足の状態がよくなかったが、事故で出られないジャッキーの代役をすると言ってどうしても聞かなかった。ティトとジャーメインが他の三人をはさんで両側に立つ、典型的なジャクソン5スタイルにするのが大切だ、とランディは思ったのだった。
毎夜、ランディはパーカッションとキーボードを演奏し、歌いそして踊った。アンコールが終わって舞台をひっこむと、足をひきずって歩きながら「ちくしょう、死ぬほど痛いぜ」とうなっていた。でも、足を冷やして休養をとると、いつも翌日の夜のショーに出られるようになっていた。


☆☆☆


ファンからのメッセージと祈りを力にして闘った姿が、どうしても今と重なってしまうのでした。人ってずっと変わらないのですね。
生命の危機にある少女を救うため、寄付をしたニュースが流れましたが、それもランディの非常に個人的な思いからの行為であるように思えました。



…でも最後にひとつだけ~。
JETには、以下のようにありました。
With his days being devoted to therapy, composing music, practicing on his instruments and answering fan mail, Randy has virtually no time for socializing. Since he is not dating and has no one he calls his special girlfriend, he doesn’t plan to alter his daily routine. About girls, he says, “I’ve gotta leave myself open. I’m waiting for the special one.”
…嘘つき!って、ラトーヤの本読んだ方ならわかりますよね。アイドルだなあ。雑誌って、こういう面ではホントに当てにならないわ~。


情報元:
JET1980年6月19日号
EBONY1980年6月号
ラトーヤ・ジャクソン「インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー」


<おまけ>

J5のフィリピンツアー中にバスケをするランディ
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ジャネットとランディ
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コメント 2

kay

助かったのが奇跡みたいにひどい事故でしたね。
ランディは何かに守られてる感じ・・・根性あるのねー。
こういう時はマイケルは泣かないでしっかりしてるのねー。

一説によると人が事故にあうのも、助かるのも定められているとのこと。
とすると彼はすごく天に見込まれている存在。
彼なら乗り越えられるだろう。
そしてその経験を通して世のために貢献するであろう・・と。

これって苦難を愛に変えていったマイケルの人生と似てますね。
だからマイケルを守ろうと思えるのでしょうね。

ファンレターをちゃんと読んでくれるとこもマイケルの同じです~!



by kay (2010-06-20 22:25) 

Mee

kayさんこんばんは。

>彼はすごく天に見込まれている存在。
>彼なら乗り越えられるだろう。
>そしてその経験を通して世のために貢献するであろう・・と。

本当にそうですね。運命論とか精神性からほど遠いところにいる私ですが、ことランディ(とジャクソン家)に関しては何かあるように思えてなりません。
やはり本人の心が神に寄り添っていると、神も手を差し伸べてくれるのでしょうか(逆も然り…)。
少し、自分のあり方を見つめ直したりもします^^;

>こういう時はマイケルは泣かないでしっかりしてるのねー。

ラトーヤの語るマイケルは、普通の青年ぽくて好きです。きっとそういう面を見せてるんじゃないかと。マイケルの行動を理解して、ちゃんと解説してくれるし(笑)。だから、次の本も楽しみにしているんですけどね~。なかなか。

>ファンレターをちゃんと読んでくれるとこもマイケルの同じです~!

kayさん、マイケルからお返事来てるんですもんね!
twitterでランディに応援メッセージ入れたいな~。(なんかハードル高そうな気がしてるけど、意外と簡単なのかしら?)
by Mee (2010-06-21 00:17) 

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