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写真で振り返るマイケルとラトーヤ ブログトップ

写真で振り返るマイケルとラトーヤ その5 [写真で振り返るマイケルとラトーヤ]

このシリーズは、joker2さんのブログが出来てから、勝手にバトンタッチ★したつもりでいましたが、こっちにもちょびっと載せておきましょう[わーい(嬉しい顔)]ラトーヤ復帰後のものです。2003年~。


おなじみBETのバックステージ。出回ってるのより、ちょびっと色、いいでしょ??
2003_MandL_BET_2.jpg


そのときステージ袖で待ってたラトーヤ。これ教えてもらいました。
BET2003.jpg


マイケル親子とおでかけ[わーい(嬉しい顔)]子どもたちの写真載せないようにしてますが、これだけお許しくださいませ[あせあせ(飛び散る汗)]
2020-1.jpg


裁判の写真でも、この日は楽しかったようなので可!ラトーヤサングラスなし、珍しい。
2004_La-Toya-Jackson-michael.jpg


これも。皆、オーラありすぎ。
2004_janetandmichaelandlatoya.jpg


フォレスト・ローンにて。色々いわれてたようですが、
帽子も、腕章も、時計も、全部、意味のあるものですね。
3291.jpg


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写真で振り返るマイケルとラトーヤ 番外編 [写真で振り返るマイケルとラトーヤ]

写真で振り返るマイケルとラトーヤ その4 の番外編、動画集です。

二人の別離期間のマイケルと、和解直後のラトーヤ。

1993年2月10日のオプラ・ ウィンフリー・ショー。
ラトーヤの自伝(当時暴露本扱い)について、感想を聞かれたマイケル。
マイケルがラトーヤについて話すのは珍しいのです。
慎重に言葉を選んでますが、本音なのが見ていると分かります。

6:00~
"I just know that I love my sister dearly, I love La Toya and I always will and I will always see her as the happy, loving La Toya that I remember growing up with."




しんみりしたところで、時は流れ、和解後の1997年。
一転して、随分とおバカな番組です(笑)。
ラトーヤ、この頃にはトラウマも少しは癒えた模様。
sitcom好きにはたまらない雰囲気。 

出演シーンは1:45~

RuPaul show 1997 



そして、1998年。テレビで"Wanna Be Startin' Somethin"を歌うラトーヤ。
まだ、ゴードン期の雰囲気を引きずっている感のあるパフォーマンス。
マイケルのパフォーマンスを想像して見ると、なんじゃこりゃ?と思うかも(笑)。
でも別物と思って見ると、なかなかcuteなのです。

当時の大衆感情を考えると、相当風当たり強かったでしょうね。
でもラトーヤはこの曲をやりたかったんですね。
再出発の宣言として、マイケルへのトリビュートとして、また、これは自分のために書かれた曲だから。

で、指輪は例によってあれですよね。かなり嬉しそう。



ラトーヤはこの後、活動を長期休止。。バッシングでもあったのか、それとも、元々本調子ではなかったのか。
そして、2003年に再開したときの作品はこちらです
ラトーヤ未発売アルバム"Startin' Over"音源と歌詞


<おまけ>
時期的にはだいぶずれますが、マイケルBadツアー来日時のラトーヤ。
右にいたJGをカットしてみた(笑)
LaToyaBadTour.jpg


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写真で振り返るマイケルとラトーヤ その4 [写真で振り返るマイケルとラトーヤ]

(もはや、写真よりテキストが多いのですが、タイトルはこのままいきます。)

コメント欄の応酬で、「マイケル&ラトーヤは恋人以上の関係」説が俄かに浮上。
というわけで今回はその目線で80年代~2003年を見てみることにします。

マイケルのプライベートをいたずらに探ったり、物語を仕立てあげるのは本意ではないんですけれども。
…いや、でも、マイケルは言ってみれば現代のモーツァルトですよ?
その作品を理解するため、女性遍歴も立派な研究の対象になる日がいつか来るんですよ?(無理やり正当化。でも実際そうかも?)
で、モーツァルトにとってのベーズレのように、疑似(?)恋愛の対象がいてもおかしくない。
(そのような存在としてダイアナもいますが、ここでは書いていません。ちなみに子どもたちの後見人に指名したのは、母親的存在という側面が強いと個人的には思ってます。自分の子どもを任せるなら、やはり、自分を育ててくれた人が一番信頼できると思うので…。)

たっぷり言い訳したところで…、始めます。一説として聞いてください。それでも、インタビュー記事、自伝など事実と思われる資料をもとに書いており、今後もし誤りを見つけたら出来る限り修正します。

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二人の関係を語る上で重要なのが、信仰について。二人とも敬虔なエホバの証人の信者で、マイケルはビクトリーツアー中に、各地の会館を探し出し、集会に通った。スリラー後も、変装してパンフレット片手に布教活動をしている。高校時代にさかのぼると、マイケル、ラトーヤ、そして共通の友人の女生徒の三人で、昼食時は毎日、聖書の精読に励んでいる。

家庭の方針と宗教の教義のどちらも男女交際には厳格だったため、デートは結婚前提の場合に限り、それ以上の関係は持たない、と決めていた二人。マイケルは70年代にテイタム・オニールと交際し、80年代半ばからはブルック・シールズをよく同伴しているものの、ブルックとの関係は友情にとどまっている。つまり、80年代に事実上、マイケルの恋人といえる公の存在はいない。

そんな空白時期。「マイケルとラトーヤはいつも”にかわ”(←接着剤)みたいにくっついている」とジャーメインが言うほど常に一緒に行動していた二人。マイケルはロールスロイスにラトーヤを乗せ、海辺を通ってパームスプリングスまでドライブするのがお気に入り。二人で口ずさんで曲が生まれることもしばしばで、二人ともインタビューでは「波の音が作曲のイマジネーションの源」と答えている。Wizの撮影中、NYで二人暮らししていた頃についた癖で、二人はよく同じような服を着ていた。マイケルが「ピンクのセーターと黒いパンツにしよう」と言えばラトーヤが「そうしましょう!いっしょの服で見物だわ」と賛成する、という具合。この頃から後年までラトーヤのファッションはマイケルに大きな影響を与えており、モータウン25のビリー・ジーンでのスパンコールジャケットは元々、ラトーヤが母のために買ったものである。
またこの頃、マイケルは義理の姉妹との摩擦で落ち込んだラトーヤを励ますためにスタート・サムシングを書いている。ラトーヤが悲しんでいるときは店まで車を走らせ、雑誌やよく一緒に観ているビデオなどをどっさり抱えて戻り、なぐさめていたマイケル。さらにはラトーヤの好きなスターを自宅に呼んであげる、など至れり尽くせり。公式な場にも決まって二人で登場している。

この時期の二人。授賞式などでの共演写真は "その3" を参照。
970_MandL_early1980.jpg

980_MandL_early1980_2.jpg

家では父親や警備員の目があり内緒話もできなかった。このため目を合わせるだけで、考えていることを伝えられるようになったという。
990_MandL_early1980_3.jpg


(二人の関係が、他の人に言えないようなものだったのか?…それは私の知るところではありませんが…普通の姉弟関係を超えてSteadyでExclusiveなものであったのは確か。それは宗教や名声など環境のせいでもあり、二人が共有する独特の世界観のせいでもあったでしょう。)


そして、80年代半ばへ。この頃の重要な出来事として、エホバの証人の長老たちからの圧力がある。ラトーヤは80年頃から教義に疑問を抱きはじめ、王国会館での集会から足が遠のく。長老たちはそれを問題視し、マイケルに対し、ラトーヤと話すのをやめるか、さもなければ教団を追い出すと決断を迫った。マイケルは泣きはらし、悩み、家を飛び出してマーロン・ブランドに相談する。そして結局、長老たちの命令に従わないことに決める。そして87年の4月、正式にエホバの証人から脱退する手続きをとる。二人はこの件で直接話し合ってはいない。しかしラトーヤは、自分のせいで信仰をあきらめなければならなかったマイケルに対し、辛い気持ちを抱き続けることになる。

この時期の二人。と、ゲストのエマニエル・ルイス999_MandL_mid1980_2.jpg

さらに80年代後半から、マイケルのマネージャー(フランク・ディレオ)、ラトーヤのマネージャー(ジャック・ゴードン)とも、二人のキャリアへの家族の関与を排除するために、家族との関係を引き離すよう画策しはじめる。家族の悪い噂がマネージャーの口からマイケル、ラトーヤそれぞれに伝えられ、お互いの電話は取り次がれず、マイケルにはラトーヤの異性関係についての嘘も吹き込まれたという。この件と、前述の宗教的な問題は、二人の距離を遠ざける。このためマイケルの自伝「ムーンウォーク」(88年出版)では、「ラトーヤと僕は共通点がない」、と書かれ、二人は結局、88年春に突然ヘイブンハーストの家を出る。これはラトーヤが先で、ほぼ同時期であった。このときのことをラトーヤは、自分たちはお互いをヘイブンハーストに引きとめあっていたのだ、と回想する。

90年代初めには、ジャック・ゴードンによる混乱がラトーヤと家族を、そして最初の児童虐待疑惑がマイケルを襲う。これらの混乱から、ラトーヤはイスラエルの会見でマイケルを責める立場に追い込まれる。その後マイケルがネバーランドから会見した映像を見たラトーヤは、マイケルの悲しそうな顔を見て泣いたという。

そして96年の秋。ようやくジャック・ゴードンから逃れたラトーヤは、家族のもとへ戻る。マイケルは、謝ろうとするラトーヤを止め、全て分かっている、と言って許し、二人は泣きながら抱き合い、和解する。

その後、2003年まで公の場には出なかったとされるラトーヤだが、98年頃にはヨーロッパのテレビ出演などの活動をしている。マイケルとも親交があり、ヒストリーツアーでマイケルはラトーヤとおそろいの指輪をしている(joker2さん情報。ちなみに、この時期はデビー・ロウと婚姻関係にあったが、これは結婚指輪ではない)。

指輪、これですよね。
HistoryTour1997.jpg

2003年、ラトーヤの音楽活動再開、公の場への復帰。これ以降、しばしば二人での姿が目撃されるようになる。


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写真で振り返るマイケルとラトーヤ その3 [写真で振り返るマイケルとラトーヤ]

第3弾、1981~1984年まで。
この時期は常に一緒。驚くほど見た目がシンクロしている二人。ファッションも揃えてます。
一気にいきます。

January 30, 1981 The 8th American Music Awards
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January 30, 1981 The 8th American Music Awards
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January 30, 1981 The 8th American Music Awards
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March 20, 1983 "Dream Girls" Opening Night
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50_1983_3_MandL_3_.jpg60_1983_3_MandL_Life_.jpg


July 1, 1983 Black Radio Exclusive Awards
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October, 1983 "Say Say Say"
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February 28, 1984 The 26th Grammy Awards
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February 28, 1984 The 26th Grammy Awards
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February 28, 1984 The 26th Grammy Awards
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おまけ。 with Q
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⇒グラミー、動画はこちらの記事に。


エンシノ自宅の噴水前で
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⇒噴水前インタビュー、動画はこちらの記事に。


おまけ
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写真で振り返るマイケルとラトーヤ その2 [写真で振り返るマイケルとラトーヤ]

1980年夏、マイケルとラトーヤ、二人で仲良く"Night Time Lover"を作っているところ。

MandL_piano2.jpg

…というのはちょっと出来すぎですよねえ…この完璧な笑顔はJET誌の取材用で、その記事がこれ↓ あっ、ジョーもいますね。かわいいですね。(このコメント間違ってる?相当愛着湧いてますね私。)

MichaelLaToyaMagazine.jpgMichaelLaToyaMagazine2.jpg

"Night Time Lover"は元々、3年前に二人で作った曲らしいです。
"Fire Is The Feeling"というタイトルで、ドナ・サマーにあげる予定だったとのこと。
3年前というとWIZの撮影時期。マイケルとラトーヤがニューヨークで二人暮らしをしていた頃ですね(1977年)。
二人で通ったStudio 54でそんなコラボレーションの話が持ち上がったんでしょう。

父にやらされたプロデューサー業に最初は渋っていたマイケルも
"I think it's really going to be a winner !"
なんて嬉しそうなコメントを出し、特にラトーヤとジャネットの共作曲、"Lovely Is She"を推してます。
両方とものせますね。確かにラトーヤの声の魅力が生きているのは断然"Lovely Is She"だと思います。

しかし、気乗りがしなかったわりにいい仕事をしているラトーヤ。
このまますくすくと育ってくれていれば…と思わずにはいられない。

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ラトーヤ・ジャクソン "Night Time Lover"


ラトーヤ・ジャクソン "Lovely Is She"


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写真で振り返るマイケルとラトーヤ その1 [写真で振り返るマイケルとラトーヤ]

さて、ブログ開設からはや一カ月。ここのテーマのひとつ、マイケルとラトーヤの関係について。

。。と言いつつ、一番の資料はインサイド・ザ・ジャクソン・ファミリーです。これを読めば十分だし、逆に、これがなければ私がここで何を書いても伝わらない気がします。マイケルファンの皆様にはぜひ読んでいただきたい。
すでにアマゾンでも一万円を超えてますね。私にとってはもう、一万円でも売りたくない大事な本です。図書館にもあるところにはあるようですし、是非。
(こんなブログを見つけて下さっている時点で、もうとっくに読まれているでしょうか。それならばぜひ他のマイケルファンの方にどんどん貸し出していただきたい。笑)

どうやらラトーヤは続編を書いているようですが(Biography参照)、今度は周りにも気を使うでしょうし、ここまで赤裸々な内容にはならないでしょう。プライベートを余すことなく語ったことで、この本が魅力的なものになったのだと思います。それは家族への反抗心からでしたが、かといって、私はこれを読んでも家族の誰も嫌いにはなりませんでした。それはこの本が悪意をもって書かれたものではないからだと思うのです。

前置きが長くなりました。まずは、1975-1980 年頃、ジャクソンズ/オフ・ザ・ウォール期の二人を、ラトーヤの言葉で。

ヘイブンハーストに残った子どもたちは、マイケル、あたし、ランディ、それにジャネットだけになったので、家の中は比較的に静かになった。

ラトーヤ、ランディ、ジャネット、マイケル。最後まで実家に残った4人は大人になっても仲良しです。
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たいていの大家族がそのようだが、ある時期になると、兄弟の誰かがほかの兄弟ととても仲良くなるものらしい。不思議なことに、あたしと仲のよかった兄弟は、テイト、ジャーメイン、マーロン、ジャッキーと、みんな結婚してしまった。今ではマイケルとあたしが大の仲良しになった。

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あたしは何度も、彼の写真やスケッチのモデルになった。 お互いに共通する趣味が多く、性格もよく似ていた。とりわけ、未知の世界に対する好奇心が旺盛だった。二人で毎日新しい言葉を覚え、できるだけ使うようにして一種のゲームを楽しんだ。そのために、他の家族全員が気が変になってしまったぐらいである。

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マイケルはソフトな話し方をし、態度も恥ずかしそうだったので、自信不足ではと人びとから誤解されて見られていた。しかしそれは違う。あたしの知っている限りでは、弟は最高の自信家なのだ。いちど何かをやろうと決心すると、まるで自分自身と約束したみたいに何が何でもやり通した。

マイケルと、”Q”ことクインシー・ジョーンズ。
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世の人びとはよく、マイケルを子どもっぽいと評する。あたしには同意できないが、確かに彼の内面はいつも子どものようで、物に対する驚異の心や、積極的な人生観がいっぱい詰まっている。たとえば堂々とした木を仰いでいるだけで、この木はなぜ神の存在の明白な証なのか、この木はどう成長し、どう変わっていくのか、どのようにして人間の糧となり、護りとなってくれるのか等々、あたしたち二人の間には生き生きとした会話が生まれるのだ。

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